インプラント界裏話:歯科界の偉人達を舐める若”者へ

最近富に感じるのが、業界に足跡を残した先人、偉人達に対する無知、無理解に伴う、傍若無人な行動、言動をとる若”者DRたちの存在です。

失礼ながら、今我々がここに立てるのは、かつての偉人達が周囲の圧力に負けず、一所懸命に努力して実勢の残し、結果を出して来ているからです。
1人の天才が現れて、いきなり世の中を変えて訳では有りません。
増してや、世の中が正しいものが出て、それを即評価出来、受け入れられた訳ではないのです。
それにも拘らず、頑張り続けて来た多くの方々がいてこそ、我々はここに立てるのです。

今じゃ信じられないかもしれませんが、私が卒業したばかりの頃には、根治をキチンとしたら根尖病巣が消えるとか、ルートプレーニングをしたらポケットが浅くなって歯が自然に元の位置に戻るとか、今じゃ当たり前と受け取られる内容が、真面目に出来るんだと広まって来ている最後の時期でした。
私自身がかの筒井先生が話されていたのを良く覚えています。

筒井先生が、森先生のエンドのセミナーを受けて根尖病巣が消えて歯を救えるという事を聞き、興奮して、新しい時代が来るんだと奥様照子先生に話され勉強しなければ、と語った、というエピソードを聞いています。
かつては、そんな時代だったんです。

日本国内の歯科の治療が現代のものに変革して来たのは、本当にここ20年位です。
私は恩師のお陰で、歯科界で勉強のセミナーとかが本格化する現在の時代の開幕期の末端に引っ掛かり、創生期の頃のお話を聞く機会に恵まれました。
しかも、有り難い事に私自身も4年生位からレポートを書く為に図書館で業界誌を良く読む学生でしたので、先端的な治療とかに憧れ、それをやりたいと願っていたりしました。
卒業したてで、かの大津先生の恵比寿のクリニックに見学に行き、見学後マンションの上のお部屋で、先生から直接デンタルとかパノラマとかを数多く見せて頂いて、物凄い根尖病巣が消え治ってしまう事、奇跡の治療の数々を一所懸命に説かれ見せて頂きました。

物凄く感銘を受けました。
なんと20年以上のその当時から、大津先生はオピアンが根を削り過ぎる欠点を自身で指摘され、根破折の危険性に言及され、削り過ぎを忌み嫌われていて、当時オピアンでセミナーしているDRを批判しておられました。
先生自身はもうその時点で高齢で、自信でセミナーする事を減らされていたからです。

凄い方です。
ご子息のクリニックにも伺い、綺麗な当時の最先端のMBを見せて頂け、レントゲンから全て開示して頂けて、感銘を受けました。

まず信じてもらえないでしょうが、いまだに世の中に綿栓根充が蔓延っていた時代です。
そっちの方が普通だったんです。

その時代にこれではいけないと立ち上がって、歯科界を導こうとしだして精力的に活動されたのが、保母先生、森先生です。
頭の部分、被せ物の部分が保母先生、支える根の方が森先生、と謳われて、日本全国津々浦々講演して日本の歯科界を変えて行ったのです。

かつての日本はアメリカと隔絶たる差が有り過ぎる位あり、戦前から現代的な治療を始めていたアメリカと後進国発展途上国そのものだった日本があったんです。
考えて見て下さい。
M,アムステルダムの症例は50年ですよ。
ブローネマルクは40年。

日本がこうなれたのは、ここ20年皆で必死に追い付こう、追い掛けようとしたしたからであり、又、海外の論文が直で読める環境も出来始めて、頑張ってここに来ているんです。

勿論、国内でも、かの片山先生とか豊永先生、原田先生、田中先生等々個人的に頑張り、スタディグループを成し世界に伍している方々の存在も有りました。
尊敬してやまない矢崎正方先生なんかも凄い方で、あと少し長生きされて解説書をお書きに成っていたら、どれ程世界の総義歯治療が進化していたかと期待させられます。

しかし、宿命、運命の神の差配は我々には分かりかねるところ大です。
筒井先生が御落命されたのがPRD直後と言う事実、本当に残念です。

それでも、生き残っている我々は業績を継ぎ、発展させて行かねばなりません。
命と言うものだけは、我々にはコントロール不可能です。
出来る事は、真面目に修練する事だけでしょう。

人生を締め括らなければなくなった時、自分のして来た仕事を振り返り後悔するような人生は送りたくはないですよね。
かールソンの引用ですが、高名な大工の棟梁が、大変な資産家に家を造ってくれと頼まれて、一所懸命に作った所、大変気に入り、もう一軒作って欲しいと依頼されたそうです。
それが、自分達が住む訳ではない、とにかく作ってくれと言う事で今ひとつ分からなかった棟梁は、今回は余り良い仕事をしなかったそうです。
完成して鍵を資産家に渡しに行ったら、なんと資産家はそれを棟梁にプレゼントするつもりだったと言うのです。
その時に棟梁は、始めて物凄く後悔したそうです。

始めからこれをすればこう言う見返りをと考えて仕事をする事、見返りがなければ手抜きの仕事をしてしまう事、それが如何に人生を駄目にしてしまうのか、我々はもっと考えた方が良いと私も信じます。
どんな場合でも全力を尽くす事、それだけが人生が開くコツなのでしょう。

但し、理解してくれる方々とでなければ、繋がって行けませんが。
必ず、残念ながら分かり合えない方が、世の中にはいるからです。

金子御大と私が良く引き合いに出すDRも、20年前から存在し、素晴らしい成果を挙げて気を吐いていました。
憧れました。
火曜会のメンバーになりたいなんて夢想したものです。

しかし、残念ながら、7年前ですか、色々有って完全に呪縛から逃れられました。
今でも一人で勉強しています。
結局答えもしくはヒントが欲しくて海外にまで出る羽目に成っています。

体に無理が効かないのに、それでも何か今抱えている問題の解決策が欲しいのです。
勿論、最終的に患者さんの為ですが、自分自身の使命でもあると信じ切っています。
誰かが切り開く役目をしなければいけないのです。

なのにそう言う大変さが全く分からない若”者が跋扈し出してて、苦々しい思いがします。

失礼な言い方ですがSJCD,やJIADS等商業的な面が強いスタディグループが始まり、商業誌でDR集めをしだし、大きな人数に成ってからそう言う風潮が生まれつつあると感じます。
今回は濁さず敢えて実名を出しています。

勿論創始者達の思念は崇高であり、尊敬すべきものですが、そこに集まる若”者のマナーのなってなさには眼に余るものが有ります。
歴史を何にも知らない。
先人に対する尊敬の念が全く欠けています。
そのくせ自身が属する先生方ばかりが偉い、の風潮です。

代表例として今最も大きいグループを代表例として挙げただけで、どの勉強会でも似たり寄ったりです。
自分が世話になったDRだけが唯我独尊、他は大した事がない。
こう言う風潮では、まともな議論など出来る筈がないでしょう。

まるで新興宗教のようです。
気持ちが悪い、かつての歴史を忘れたんですか?と大きな声で言いたい。
ヒトラーを生んだのは、誰ですか?
日本を大東亜戦争に向かわせたのは、誰ですか?
信仰は時に危険でしかありません。

多分幾ら行っても今の若”者には、なかなか届かないだろうと、諦観しながら心配しています。
私自身は歴史を知り、今に到る道を知る最後の生き残り世代DRとして、今後の行く末を見守りたいと、考えています。
年齢的にはそう言う事が分かる世代としては、異常に若いのが難点です。
実際には、同じ位分かる方は私よりも一回り位以上上ですから。

何か知らないんですが、学生時代から上でも書いたように業界誌読んだりしてるし、恩師に恵まれたんです。
言葉を変えれば、新世代のもっと先にいる、とも言えますが、実際の感覚としては、旧世代最期の生き残り的な感覚の方がずっと強いです。
何か生き残っちゃった恐竜みたいな感覚ですか。

言い方変えるなら、下克上の時代に生まれてしまった上杉謙信みたいな感覚でしょうか。
なので、今の時代に大いに異を唱える者なのです。
礼儀作法には超煩いです。
言葉使いにも、下手なりに細心の注意を計っています。
上下関係年齢に基づく敬語等の使い方にも煩いです。

私は実際に逢うと、意外に受け取られますが言葉使い、敬語等相当にキチンと使いこなします。
親しくなれば、ざっくばらんになりますが、礼儀作法は知ってて、敢えてそれを超えようとしているだけです。

今いる若”者は知らなさ過ぎる。
もう少しキチンと学びなさい。
昔の本を読み返して馬鹿にしてはいけない。
かつてはそれで精一杯だったんです。

私と若”者は一見では似ているかも知れませんが、全く違います。
まず実力が違う。
20年以上の実績は伊達じゃありません。
ズーッと馬鹿だから勉強するしかなかった。
でも塵も積もれば山となる。
生きている見本です。

若”者よ、大きな態度取るなら、次回の2010年のPRDにチャレンジして受かりたまえ。
そこまでの気概があるなら、素晴らしい。
全く新しい事に挑む事は、生半可では出来ないのです。

挑戦する事もした事がないで先人、偉人を舐めてたら、伸びませんよ。

今日は超長くなりました。