世界のインプラントオペ

審美的なインプラント治療は当然です。
と言うよりも歯科においては、審美は不可欠でしょう。
それが審美的インプラントと言う事をやたらに喧伝するのは、如何にそれまでのそのDR自身の治療が審美的ではなったか、インプラント治療においては審美は難しかったかと言う事でしょう。
同じ事を東北の雄佐藤先生が指摘されています。
インプラントで審美が取り上げられる今がおかしいのであって、審美が普通に成れば特段言われる事がなくなる筈だ、と。
私の考えも全く同感です。
10年以上前から私自身インプラントでも自分の歯の様に見える工夫をして来ました。
その当時は、インプラントの境目が歯肉の中に設定されていると、大変に抗議をされました。
清掃性が悪く、予後が悪くなる筈だと言うのです。
が、自身の経験上、セラミックを用いて被せるなら然程大きな問題が出ないと感じていましたので、外野の声は気にしませんでした。
そして何時の間にか、私が自分だけで工夫していた事が普通に成りました。
世界の方にまだ眼が行っていない時代でも、患者さんの要望にお応えしようと工夫をしていると自然と同じ道を辿るようです。

これと同じ事が、今、即時荷重インプラント治療で起きています。
私は2000年当時から出来る、これからはこちらに向かうと言って自分も努力を重ねて来ました。
しかし、何故か又も国内では抗議されています。
後3年立ち、世界の情報が本格的に着だしてから皆気付くのでしょうか?
その間救われない患者さんはどうなるのでしょう?
残念で成りません。
何時までも世界の後塵を拝し続ける。
世界のレベルに並ぶしか考えが及ばない。
何故なのか?
問い続ける事が必要であると、私は提案します。

このままでは、いや既にシンガポールやドバイ等の方が世界に近い事を認めるべき時代かもしれません。